2014/05/06

「『ライダイハンの蛮行』韓国軍はベトナムで何をしたのか レイプ、民間人虐殺・・・」

「誤りを認めない指導者に、新しい未来を開いていくことなどできない」。三月一日、独立運動記念式典で韓国の朴槿惠大統領は日本をそう批判した。その言葉、そのまま朴氏にお返ししよう。韓国軍こそ、ベトナムで何をしたのか。現地取材で判明した韓国軍による「ライダイハンの蛮行」をすべて明かす。


◇村人の前で輪姦して殺害



 ベトナム南部最大の商業都市ホーチミンから、飛行機で約一時間北上するとクイニョンに到着する。南シナ海に面したこの港町は今、静かなリゾート地として旅慣れた観光客の間で人気のスポットになりつつある。

 そのクイニョンの中心地から、かつてゴダイ集落と呼ばれた農村部へと向かうと、リゾートの雰囲気は一変。そして気付かされる。ここがベトナム戦争時、韓国軍による「ゴダイの大虐殺」があった血生臭い戦場であったことを。

 ベトナム問題に詳しいフォトジャーナリストの村山康文氏は、先月末までベトナム戦争時の激戦地を訪れた。このゴダイ集落を訪れた時、韓国軍による大虐殺の凄まじさを知ったという。

 その集落の村のひとつ、タイヴィン村があった場所には、現在、カラフルな壁画が建てられている。その鮮やかな色使いとは裏腹に、描かれている内容は悲惨そのもの。軍服を着た兵士たちの銃口が火を吹き、銃弾が村人たちの体を貫く。火あぶりにされる裸体の女性の姿も描かれており、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。”つり目”で表現された武装した軍人たち。彼らこそ、大虐殺の当事者である韓国軍である。右腕には、ゴダイ集落を爆撃した「猛虎部隊」の紋章である虎が描かれている。

 集落全体では、六六年一月二十三日から二月二十六日にかけて、千四人の民間人が虐殺されたという。

 十五発もの銃弾を受けながら奇跡的に生き残ったタイヴィン村のグエン・タン・ランさん(62)が、当時を振り返る。

 「韓国軍が村に来たのは朝九時頃。百人以上の歩兵が次々と村に入り、全二十五世帯、六十五人の村人を一カ所に集合させました。韓国兵はその中から、年頃の娘を見つけると、彼女を集団から引き離し、村人の前で輪姦を始めたのです。兵士たちに銃を突きつけられた娘はなす術なく、代わる代わる暴行されました。そして、最後の兵隊が事を済ませると、彼女を撃ち殺したのです。その一部始終を見せ付けられた村人が怒り狂い、韓国軍に襲いかかろうとしましたが、その場で射殺されました。韓国兵は私たちを一度に殺さず、数人単位で射殺していきました。私の両親や親族も殺されました」

 この壁画は、タイヴィン村での虐殺を忘れないための記念碑のようなものだという。その傍らにはゴダイ集落で虐殺された三百八十余人の名前が刻まれた慰霊塔も建っている。そこには「韓国軍が行った非道は忘れない」という内容の文字も書かれていた。

 クイニョンからさらに北に約三百キロメートル進んだベトナム中部のクアンナム省のフォンニャット村は、非常に小さな農村だ。ここでも韓国軍によって虐殺が行われた。当時十四歳だったトワン・ヴァン・ディエップさん(60)が涙ながらに語った。

 「早朝、百人以上の韓国兵が突然押し入って来た時、私は慌てて家の中に逃げ込みました。家には両親と六歳の弟がいましたが、動揺した弟は私たちの制止を聞かず家の外に飛び出てしまい、韓国兵に撃ち殺されました。まだ幼い弟を殺された両親と私は恐怖と悔しさに震え、ただ家の中で息を潜めるしかなかった。

 隙間から外の様子を窺うと、四十人ほどの村人が一カ所に集められ、銃弾を浴びせられているのが見えました。やがて私たち一家も見つかり、外に連れ出され、両親を目の前で射殺されました。逃げようとする私にも乱射してきました。右足に銃弾を受けて倒れ込んだ私は、死んだふりをして韓国軍の襲撃をやり過ごすことができたのです。韓国軍は民家に火を放ち、村全体を焼き払いました」

 フォンニャット村周辺でが七十四人が犠牲になった。わずかな生存者となったディエップさんは過去を忘れようと努力したが、「四十年以上経った今でも心の傷は癒えない」と声を震わせた。

 さらに北上すると、ベトナム戦争最大の激戦地のひとつ、ダナンに着く。そこから二十キロメートルほど南へ下るとハミ村がある。六八年二月二十五日、百三十五人もの民間人が無差別に殺された「ハミの虐殺」の地である。

 犠牲者の慰霊廟が建てられていた。荒れ果てた野原に建つ慰霊廟の横には、犠牲になった百三十五人全員の名前が彫られた石碑があった。女性が九十七人も含まれ、生年月日から紐解くと零歳~九歳までの子供が五十七人も確認できた。

 殺戮と破壊。これがベトナム戦争で韓国軍が行ったものだと、現地の人々は口をそろえた。



◇子供の頭を切り落とす



 今、韓国では先のベトナム戦争に参戦した韓国軍の蛮行が、にわかに問題視され始めている。

 三月七日、かつて日本軍の慰安婦だったという女性とその支援団体代表がソウルで会見を開いた。ベトナム戦争に参戦した韓国軍による「ベトナム人女性に対する性暴力や民間人虐殺」について、「韓国政府が真相を究明し、公式謝罪と法的責任をとるように」と訴えたのである。

 これまで日本に「謝罪」と「賠償」を求めてきた彼女たちの矛先が自国へと向けられたのだ。

 韓国がベトナム戦争に参戦したのは六四年のこと。七三年まで、延べ三十二万人もの兵士を南ベトナムに派遣した。当時、アメリカの同盟国として、オーストラリアやフィリピンなどのSEATO(東南アジア条約機構)加盟国も参戦していたが、万を超える兵を派遣したのは、アメリカを除けば韓国だけだった。

 韓国事情に詳しいジャーナリストが言う。

 「朴槿惠大統領の父親である朴正煕大統領が、ベトナム戦争への自国軍の派兵をアメリカのケネディ大統領に提案した。アメリカに擦り寄ることで韓国の軍事独裁政権を認めさせるため、そして戦争特需による外貨獲得が狙いだった」

 韓国軍は、後に激戦地となったダナンに海兵隊第二旅団「青龍部隊」を、クイニョンに首都ソウル防衛師団「猛虎部隊」を、そしてニンホアに第九師団「白馬部隊」を駐屯させた。彼らが、各地でベトナム人に対し虐殺やレイプを繰り返したのである。

 ベトナム戦争当時にサイゴン支局長を務めていた元朝日新聞記者の井川一久氏が言う。

 「当初の韓国軍の主な任務は『ベトコン掃射作戦』でしたが、六八年以降は『農村の無人化作戦』に変わりました。わかりやすく言えば、反米の南ベトナム解放戦線が大半を支配していた農村部を壊滅状態にすることです。戦場でベトナム人を見つけたら、女、子ども問わず抹殺するのが仕事。彼らはベトナム人を人間だと思っていなかった。女性を見つけたらレイプした。単独ではなく輪姦です。そして用が済めば殺す。もはやマニュアル化していたように、彼らは凶行を繰り返していた」

 井川氏が続ける。

 「ベトナム人にとって韓国軍は”アメリカの金を目当てにやってきた傭兵”という認識でした。彼らには何の大義もない。それどころか犯罪者集団だという人もいた。支局時代、ベトナム人の助手に、韓国軍の取材に行くと言ったら、”私は行けません。彼らの前に立つだけでも吐き気がする”と拒否されました」

 実は、ベトナムでの韓国軍による蛮行を、当事者である韓国軍が知ったのは九九年で、戦争終結からかなりの年月を要していた。発端は週刊誌『ハンギョレ21』(九九年五月六日号)が始めた一年以上にわたる連載記事だった。記者がベトナム当局から資料を入手し、現地取材と生存者への接触を重ね、韓国軍による殺戮の実態を白日の下に晒した。

 特に殺害方法に触れた場所は凄惨を極める。

 <生存者の証言を元に韓国軍の民間人虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通したパターンが見られた。

 ・子どもたちの頭を切り落とし、手足を切断して火に投げ込む
 ・住民をトンネルに追い詰め毒ガスで窒息死させる
 ・女性たちを次々に強姦した後殺害
 ・妊婦の腹から胎児が飛び出すまで軍靴で踏みつける>

 まさに韓国史のタブーに初めて切り込んだ記事だった。しかし、長く封印されてきた蛮行を暴いたことに、政権は怒り、元軍人たちも大反発した。同誌を発行する本社の幹部が、退役ベトナム参戦軍人らに監禁、暴行される事件まで起こった。

 それから十年以上を経て、ようやく同誌に追随する動きが出始めた。先の市民団体の声明の前日、韓国の市民参加型ニュースサイト『オーマイニュース』に、韓国軍人に集団輪姦されたベトナム人女性の証言が掲載されたのである。

 韓国軍の基地で働いていた当時二十歳の女性が、兵士たちに輪姦された挙げ句に妊娠。「ライダイハン」を出産し、現在に至るまでの苦労の人生を回顧している。

 ライダイハン。ベトナム語で「ライ」は混血、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称である。



◇ミニのワンピースの少女



 ベトナムにはこのライダイハンは数千人から三万人いると言われている。戦争終結後にベトナムに流入した韓国人ビジネスマンと現地女性との間に生まれた子もいるが、韓国兵による性被害により生まれたライダイハンも少なからず含まれているのは事実だ。

 前出の村山氏も、「クイニョンの韓国軍基地の食堂で働いていた女性から、四~五人の韓国兵にレイプされたライダイハンを身篭ったと聞いた」と語る。

 ただ、こうしたレイプがすべてではない。かの戦争の時、少なからぬ韓国人にとってベトナム人女性は”性の商売道具”でもあった。

 ベトコン掃射作戦により、農村部から命からがら逃げ出した人々のうち、多くの若い女性は売春で家族を養うほかなかった。そのブローカーや雇い主の多くが民間の韓国人だったという。

 ベトナム戦争では、戦争の特需にあやかろうと建設業や運送業者、飲食施設経営者など、総計一万五千人もの民間人が韓国からベトナムに渡っていた。中でも外国人相手の売春斡旋業に手を染める韓国人は少なくなかった。

 「米軍や韓国軍の駐屯地に近い都市には、韓国人経営のナイトクラブ、バー、キャバレー、ホテルなどが密集していて、その多くは売買春施設でもあった。風俗産業の相当の部分が韓国人に握られていたと言っても過言ではない。その種の事業に関係する日本人は私の知る限り二人だけでしたが、韓国人は数百人単位でいた」(井川氏)

 一方、韓国軍が駐屯していた中部の激戦区では、基地内に「慰安所」というべき施設が存在したという。

 井川氏が明かす。

 「サイゴン東北の米軍ライケ基地には、有刺鉄線を張り巡らした性的慰安施設があったが、それと同種の施設が韓国軍の主要野戦基地にもあった。外部の人間からは隔離されていたので確認できなかったが、韓国軍がベトナム人女性を慰安婦として扱っていたことは間違いない。

 当時、親日的な在ベトナム韓国軍高官に夕食会に招かれ、彼の公邸に行ったことがある。応接間には、超ミニのワンピースのお仕着せをまとった少女が数人いた。揃いも揃って美人。年齢は十五から十七歳ぐらいにしか見えず、少女のあどけなさを感じた。そのうち二人の少女が私を挟み、食事を口に運んでくれるのです」

 彼女たちはただの接待要員ではない。次に高官が口走った一言で、井川氏は確信したという。

 「少女たちをどこから集めたか問うと高官は答えをはぐらかし、『気に入った子がいたら連れ帰ってもいい』というのです。彼女たちは明らかに戦争難民でした。私はもちろん断ったが、高官の態度から察するに彼女たちは友好国の上級軍人や高官をもてなす存在だったのでしょう。ベトナムで韓国人は軍民一体となりなり、管理売春に手を染めていたのです」



◇韓国政府は認めていない



 朴槿惠大統領は昨年、抗日運動の記念日(三月一日)に、「加害者と被害者の立場は千年経っても変わらない」と演説し、日韓に横たわる歴史認識の相違に徹底的に固執する態度を表明した。

 ならば、韓国軍によるベトナムの歴史についてはどう考えるのか。韓国政府はいまだに民間人の虐殺やレイプについて、その存在を公式に認めてはいない。

 両国の国交正常化から六年後の九八年、金大中大統領(当時)がベトナムを訪れ、「ベトナム国民に苦痛を与えたことを申し訳なく思う」と謝罪した。虐殺やレイプに触れたわけではない。それでも強い反発を見せたのが、当時野党のハンナラ党副総裁の職にあった朴朴正煕大統領だ。「(韓国軍)勇士の名誉を傷付ける言動だ」と猛烈に批判したのである。朴槿惠大統領は、昨年九月にベトナムを訪問しているが、謝罪はおろか、ベトナム戦争時の歴史には一切触れなかった。

 ベトナム政府は、今までに韓国に対し謝罪や反省、補償も何一つ求めていない。ベトナムはサムスンなど韓国の優良企業の工場を誘致しており、両国は経済的に協力体制を築いている。「恨み」ではなく、「共存」をベトナムは選んだのだ。

 いまだに日本に対して、謝罪や補償を強硬に求め続けている韓国とは、正反対の態度である。

 ここで「慰安婦」と、「虐殺、レイプ」はまったく次元が違う問題であることは指摘しておかなければならないだろう。慰安婦制度が、現在の価値観に照らして人権侵害として批判されるのは当然だが、一方で、朴正煕大統領主導の下、戦時中には韓国国内にも合法的に米軍向けの慰安所が整備され、米軍も各地に慰安所を設けていたのも事実だ。

 だが、虐殺やレイプは戦時中であれ、議論の余地なく決して許されることではない。重大な戦争犯罪行為であるといえるのだ。

 朴槿惠大統領に日本の歴史認識を問う資格があるのか。まずは自分の父親が率いた韓国軍が、ベトナムの女性に何をしたのかを見つめ直すべきではないか。

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